烏鹿庵-react-

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色々溜まってきたから小分けする

思いついてすぐに新しいグループ作ってそっちで纏めようとか思うのは辞めような?>自分
だから管理出来ていないグループとか沢山あるんやんか。


何の話か、というと情報分散の話。カテゴリをつけて整理すればいいやん、そうすれば発信サイトは一つでも情報の小分けは出来るでしょ?とか言われかねない話ではあるけど、自分の発する情報をわざと小分けにする事で、その方面への濃い話を展開出来る、展開を期待している面があったり。その為には同一ブログ内でカテゴライズするよりかはお互いにリンクしながらも、ある意味付かず離れずで複数存在している事にも意味があると思う。但し、これはあくまでも「発信側」の考えであって「受信側」の負担に甘えている面もある。そう考えて一人リングであるcrowdeerリングこと「くろであの庭」を作って公開している。あれは誰でも見れる所で、なるたけアクティブなもの(自分が最近発信しているもの)を登録している。勿論、アクティブにしていない活動はちょろちょろやっているけど。昨今のRSS文化を加味した上で自分を知ってもらうのであれば必要ならばここを見てくれ、ここのfeedから見てくれという、これも受信側への甘えから来ているのも言うまでも無い。まーこういう事やっているから(というより、元々集客性の少ない事をあーでもないこーでもないとうだうだ書いていたから)最近のこの日記へのアクセス数は3桁いっていません(笑)


ま、これはおいといて。

わたしが言っているのは受け手はどうすればいいか、素直には受け入れづらい「量」をどうハンドルするか、という問題で、その2つがつながるのかどうかよく分からない。

http://d.hatena.ne.jp/hisamura75/20070720/p1

受け手はその受け入れづらい量を何とか分別するしか無いのではないでしょうか。「この人のこーいう面が好きだ。この面だけ見ていれば幸せ」と考える事もありだし、「この人のこーいう面が好きだ。だけど違う面も見たいなぁ」と考えるのもあり。そんな受信者100人いてその100人が一様に満足させる物なんて書ける事なんか、その100人が自分の狂信者でも無い限りは不可能じゃないかなと思う。
人が他人の公開日記なりを見て得られる物として、ある種の共感や反感や他人の経験談とかだろう。その情報を取捨するのは結局は己でしか無いのよね。「○○さんの書いたもの全て」という選択も、「△△という情報」という選択も。そういう意味では「発信者自身が纏めたフィード」という選択もそれを受け取る側が持つ自由だろう。だから、「受け手はその情報量を如何様に受ける自由があるんだから、如何様にでもすればいいんじゃない?」としかならないと。あまり頭抱え込む事は無い、と。乱暴かな?


これを“今年の夏休みの宿題提出完”として、“なつやすみの〜”と自分の中で勝手に銘打っていた一連のシリーズの終了を宣言します。お疲れ様でした。