烏鹿庵-react-

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少し昔の話をしようか。

今日はそうだな、何故腕時計をしてないのかでも。


あれは7年前だったかな、前の彼女と付き合い初めてすぐだったかな。いつも彼女は自分の左にいた。その位置は誰に対しても取っている位置だという。あまり気にせずにその配置で歩く事が常だった。たまに「自分に対して相手をどちら側にいて欲しいか」そういう事でアンケートを取っているのを目にするが、大体は「自分の利き手の方」という回答をするらしい。自分が主導(リード)を握りたい、という意識の現われだろうか。


私は何げなく利き手と反対側である左側に腕時計をしていた。私の目からしても少しごつめの腕時計だった。そのうち、彼女が文句言い始めた。それは彼女が「自分側にあるとすぐぶつかる」という主張のもとだった。元々誰に対してもボケで話の切っ掛けをつかむ自分としてはその言葉も新鮮だった。突っ込んでいる彼女から「それ痛いからやめてー」なんてねぇ。結構いい自己防衛アクセだったんだな。


私自身はそれに対してどってことなかった。でもその主張を受け入れて腕時計をしなくなったのは事実だ。でも「切っ掛けは彼女である」とという事は認めたくない自分がいる事は確かだ。現在は携帯電話がそのまま腕時計替わりである。色んな場所に置く事があるのでその度に探し回る事がしばしば。黒くて憎いあん畜生である。


今ちょと電車乗った際に先が曲がった傘を見つけた。彼女にとっては私はその「先の曲がった傘」かもなぁと。先の曲がった傘にある物、それは“見捨てられる物”。準備よく置いておける場所があり、かつどうでもよかった物。さすがに“どうでもよかった”なんて思いたくはない。それでも数年一緒に過ごしてきたんだから。


左にいる筈の影を追い、影の言葉を信じ、なんとなくあった方が便利だと思いつつも私の左腕にまだ時計は無い。時に縛られているのは肌で感じていても現在を示す針と表示板は無い。“なんとなくこのへんだろう”というアバウトな時の中で、その時に揺れながら、あの縛られた時を解き放つタイミングを練っている。練りこみ過ぎて硬くなるかもしれないけどね。