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"何でも自由"は逆に不自由

新機能とか考える時に一番頭を抱えるのは"どこまで許容するか"になる。「あれやりたい」「これやりたい」の要望言う前に「その裏にはこういう制限を課さないといけない」と少しは頭を抱えて欲しい。その時考えた事を表にすればまた改めて考える負担が少しは減る事もあるので、それはコメントに書けばいいと思う。こういう私もなんやかんや思いついたまま要望とか出していた事もあるので上記は自戒も篭めてなんですけどね。
要望をただ見ても二種類に分けられる。"広げていく要望"と"狭めていく要望"である。生みの苦しみがあるにせよ、広げていく要望の方がやりがいもあるし、その後の光を見据えていくのにいい。一方、狭めていく要望はそれこそ重箱の隅突きなので、開発者にとってはあまりいい顔はされる事は少ない。
自由度を広くする事は簡単に言えば"野放し"なのでその自由度が高い中で"自分はどうその中で楽しもうか?"と考える事が出来ないと逆にユーザとして楽しむ事は難しい。
ただ、結局コミュニティって人の集まりだから考えが違う人が出てくるわけで、自由度の高い物になってしまうとその"自由"の捉え方も人それぞれ千差万別生じてしまう。そこから揉め事/小競り合いが生じる。するとその自由度を狭める要望がユーザから出てくるようになる。規約縛りや仕様縛り、亀甲縛りなんかがその例なのかな。
共存生活するにあたり、"人間は縛られてなんぼ"なのかもしれない。それはそれで悲しいけれど。