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少し昔のお話

そろそろあの一件から300日が過ぎ去った。そう、いわしで同一の立場である1ユーザに「荒らし扱い」をされ、呆れて相手にするのも嫌になってはてなから一切手を引こうと思ったあの日から。こっちがある行為を批判したらそれについてきちんとした反論をせず逆切れして、さらに「皆が迷惑している」と言って「排除」する方向に持っていこうとする、それも管理者じゃないのにあたかも代表者風に発言して。ちゃんと「目的が反省を促すこと」であり、「目的が好ましくない行為の中止を求めること」であって、「相手が正直すまんかったと言葉を返せる窓口」は議論してたいわしとまで用意してて、あらはあるものの一応論理的に「そこにたどりつける道筋をしっかり用意して」「まいった、すまんかったと言える時間を委ねて」たのにあれだもの。呆れるにも程がある出来事でしたよ。まぁ突っかかってた私の発言は今見ると苦笑物ですけど。
ネット上の言葉の受け取り方って本当に難しいですね。特に規約。自分解釈・自分ルールの人ってまず杓子定規が自分サイズですから他の人と合わなくて当然です。個人サイズの定規を持っていて尚且つ"自分より下の人間からの指図に対して"頑なな人ほど性質が悪い。こういう人ほど上の人からの指図には平に従う。その様子は端から見てて凄く笑える。爆笑まではいかないけど口に手を当てて目線を合わせないようにして、それでいてその様子を伺っていながらくすくす笑う程度に。
何故に今更この話を持ち出したかと言うと、1ユーザの行為についての質問が目に付いたから、前に自分がいわしで展開した件に似通う事なのかなぁ、なんてふと思ってみたわけね。あの後位からしきりにいわしが荒れたりして、はてなの「窓を割って放置したから」現在の雰囲気が形成したのかな、なんて思ったりもしてる。
今の状態と1年前で大きく違う事、それは会員数だろう。一般的に絶対数が多くなってくるとその限られた人で行われていた事も薄れていく。もうちょっと平たく書くと、「“ある方面”でトップレベルの人達が集まる場所がマスコミで取り上げられるようになった。するとその場所に興味がある人がわんさか集まった。それに伴いその場所の“ある方面”へのレベルは徐々に大衆と同じになっていった」そんなもんだ。
また、絶対数が多くなると今まで一定レベルであった事の絶対数も多くなる。人力検索サイトはてなを例に(というか元々その話なんだから)書いてみよう。誤回答と質問者が嘆く数が全体の回答数の1割あったとしよう。最初100しかなかった回答数では誤回答数は10。会員が多くなって回答数が100倍の10000集まったら誤回答数は1000。この違いは何を意味するかと言うと、「一々数えてみたら割合的には同じなんだけど、実際に見てみたら誤回答だけが目立つ質問も見受ける可能性も大きくなる」という事。質問によっては誤回答が偏って集まって目立つ事も容易に想定できるわけで。最近のレベルの低下とはこんな所から派生している物かもなんて考えてみたり。

言葉だけで展開されるコミュニケーションは本当に難しい。けれど本筋さえそんな差が無ければニュアンスで伝わるものもある。「行間を読む」というのはそういう事だと考えている。でも約束破りは論外ではないかなと思う。別IDを取った上で他人を批判したいから応援してくれなんてほんと虫のいい話だと思いませんか?この話も今は昔の話ですけど(ぼそぼそ)